ホームページをリニューアルしました。是非ブックマークにご登録ください。

「魅力発信!-New Face」稲荷交通(株)

新連載
魅力発信!
-New Face-第21回

この連載では「よい会社・よい経営者」をめざして学び始めた新会員さんにスポットライトを当て、同友会でどんなことを学び、どんな企業を目指すかを語っていただきます。日々奮闘している会員企業を紹介します。


稲荷交通(株)
代表取締役常務 松田 規誉 氏

2022年入会・岡山北支部

稲荷交通(株)
<所在地>〒700-0046 岡山市北区吉備津266-1  TEL 086-253-8559
<事業内容>タクシー事業、貸切バス事業、自動車整備工場、旅行業
<URL> http://inari-kotsu.com/index.php

社名の由来と今までの経緯

(奥田)そもそもなんで稲荷交通なの?
(松田)祖父が1963年に吉備津にあるタクシー会社を引き受けて創業した際、最上稲荷神社の敷地の一角を借りて事務所を開いたそうです。その縁で「稲荷」を冠したと聞いています。
(奥田)それからちょうど60年なんだね。
(松田)タクシー3両から創業し、ほぼ家族経営の状態でしたが、今は正社員10人とパート10人が働いており、主に貸切バス部門とタクシー部門の2つの事業を運営しています。
(奥田)バス事業を始めたのはお祖父さん?
(松田)そうです。79年にはバス事業を始めて、88年には瀬戸大橋が開通して一気に観光需要が増えたので、豪華な観光バスを保有して他社に負けたくなかったんだと思います。
((奥田)一番活気があった頃ですね。

事業承継について

(奥田)松田さんはどんなタイミングで承継したの?
(松田)2019年の3月に入社し、同年5月に代表になりました。入社して1か月も経たないうちに社長である父が病気で倒れたことにより、急遽代表になったのですが前職は日本女子プロゴルフ協会でゴルフの試合のセッティング等を担当してました。
(奥田)えーっ! それはまたずいぶんと畑違いのところから入ったんだね!
(松田)はい。30歳を超えたことが人生の一つの区切りだと思っていたことと、社長である父と一緒に仕事がしたかったという理由で帰郷したのですが、ほぼ一緒に仕事をすることもなく代表になりましたので経営のことなどは全くわからず、何をしていたのか2カ月ほど記憶がありません。
(奥田)お父さんの右腕みたいな人はいなかったの?
(松田)部長が業務全般を見ていましたが、経理は父が一人でこなしていたようです。12月に父が退院したところで今度はコロナが拡大し、春までに予定されていたバスのツアーは全てキャンセルになりました。やむを得ずドライバーと賃金交渉を行ったところ、10人が辞める事態になりました。お金を借りる方法も金額の感覚も分からず、金融機関や税理士事務所に飛び込んで何をどうすればいいのか一から教わりながら乗り切りました。
(奥田)僕も経験したけど初めての時は大変ですよね。

入会とビジョンの確立

(松田)そんなこともあって「経営の勉強をしなければ」と切実に感じ、同友会に入会しました。経営指針成文化研修会もすぐに受講しました。コロナ禍を乗り越えてV字回復するためにビジョンを固めたかったんです。
(奥田)固まりましたか?
(松田)観光バスは子供たちが利用する機会が多いので、「子供たちが『カッコイイ!』と憧れる職業にしたい」という10年ビジョンにしました。
(奥田)いいですね! ビジョンを実現させるには社員さんの存在が重要だと思いますが、そのあたりは?ね。
(松田)現在の社員の平均年齢は65歳で、10年後まで残れるのは2人しかいません。組織の若返りを図るためにも僕自身が若い人を引っ張ってこなければと考えています。
(奥田)社員は社長の年齢に似てくるところがあるからね。
(松田)確かに自分が採用した若い社員と古参社員とではジェネレーションギャップのせいかコミュニケーションの頻度が違ったりもします。現場仕事なので、人によっては1カ月くらい顔を見ないこともあります。
(奥田)個人面談をしてみたら?本音はなかなかしゃべってくれないけど(笑)
(松田)そうですね。社員間の情報共有も課題です。誰がどこへ行くかも社内で共有できていない場合が多くて、仕事の段取りや手順も本人以外には分からないことも多い。今後は業務マニュアルを作って情報共有に力を入れたいです。


取材後記
松田さんは甲子園に出場したこともある元・高校球児です。そのせいか、肉体的にも精神的にもタフな印象を受けました。まだ若く、これからの可能性を感じさせてくれたので、大経営者になってもらいたいと感じました。

聞き手=フナキ運輸(株) 奥田 建志
執筆=河合直哉行政書士事務所 河合 直哉

タイトルとURLをコピーしました